仲間と電話

 仲間と電話をした。

新しいグループを始めるにあたって、その人と電話することが必要だろうとスポンサーからも提案されてたし、僕もそう思ってた。

だけど、なんとなく先延ばしにしてた。

「自分ひとりの考えでも上手くやれるさ」

無意識のうちに、そんな風に考えてた(電話をしたから気づけた)。

そのメンバーはブログを書いていて、その人の最新の記事がとっても良かった。

だから、電話をかけようと思えた。


・・・


アディクションは違えど、僕はそのメンバーと「おんなじだ」。そんなふうに感じた。

僕は彼を必要としているし、彼も僕を必要としてくれている。

ダサくても、情けなくても、回復のために、やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないんだと、その人は行動で証してくれている。

口先だけじゃないから、信頼できる。

僕もそうなりたい。

もっともっと回復したい。

分からないことだらけだけど、「すべて解る」まで待っていたら、アディクションが先に僕に追いついてしまうだろうな。


だから、分からないことを認めて、未回復なことを受け入れて、それでもグループリーダーを引き受けよう。


理想の回復者に見られるために、noteを書いていたあの頃の僕には、できない選択だと思う。

みんなをうまく騙せていると本気で思ってた。

けど、言わないでいてくれてただけだったんだな。


それでも指摘してくれた一部の人を、僕は恨んだ。

「どうしてこんなに頑張って素晴らしい記事を書いたのに、批判するんだ!!」って。

(しかもその記事っていうのは、誰からも批判されないようにと祈りながら書いた不正直の塊みたいな記事だった)


だけど、それは裏を返すと、相手の考えを無視している自己中そのものだ。

自分の思い通りに周りの人には動いてほしいし、評価してほしい。「僕を褒めて、讃えて、崇めて」って、それを「自分を神にしている」と、言わずして何というのか。


そんな生き方を続けているから、アディクションが頭をもたげる。

女の子の頭を鷲掴みにして、喉奥に突っ込みたくなる。

これは、僕の自己中心性の賜物だ。


僕はこのままではダメだから、グループにいるし、プログラムを使っているはずだ。

だから、指摘されることは、本来ありがたいことなはずだ(今のままの自分が完璧ならグループに行く必要なんて無い)。

他のグループメンバーは鼻が効くから、すべてお見通しだ。

同じ病気を痛いほど経験した人たちだからだ。


僕も間違いを指摘できる人になりたい。

彼らが僕を批判してくれたように。

批判は敬意だ。

フィードバック無くして、進歩はない。

もしもAppleがユーザーから寄せられたフィードバックを全て無視していたら成長はないと思う。

規模は全然違うけど、生き方もきっと同じだよな。

アップデートって大事。

アップデートするためには、ユーザーから寄せられた批判に向き合わなきゃいけない。

怖がってたら、脆弱性をつかれて攻撃される。

僕たちは、スリップすることになる。


・・・


周りの目を気にして、言うことをコロコロ変えたり、書くことを躊躇ったりするのは、なんて利己的だろうかと思い知る。

「心配しなくても、バレてるから大丈夫だよ」

と彼は何度も教えてくれた。


僕は回復を、神を、求め続けよう。


もっともっと回復したい。