手段の目的化
AAには「バック・トゥ・ベーシックス(BtoB)」というフォーマットがある。
これは、ワリー・PというAAメンバーが、50~75%という高い回復率を記録していた1940〜50年代当時のAAで、実際に行われていたプログラムのやり方を再現したものだ。
しかも、このプログラムは、たった4時間で12のステップすべてに取り組める、という謳い文句だった。
当時、12ステップの「やり方」に飢えていた僕には、この「原点に立ち戻る」というやり方が、輝いて見えた。
ようやく僕は、見つけたのだ。
これさえやっていればもう大丈夫だ。
本気でそう思った。
最初は、確かにそれでよかった。
でも、だんだんと味がしなくなっていった。
はじめてBtoBに取り組んだ時の感動が、回を重ねるごとに薄れていく。
あぁ、あの感動をもう一度取り戻したい。
そして、いつしか僕は、ただバック・トゥ・ベーシックスにしがみつくだけの人になってしまった。
それはもう、僕の回復の役には立っていなかった。
でも、認めたくなかった。
「これが正しいんだ。このやり方が正統なんだ。他の人たちはみんな分かっていないんだ。この正統な12ステップのやり方をみんなに広めなければならない。それが神が私に与えた使命なのだ。そうに違いない。あぁ、神様、私に力をお与えください!」
そんな祈りを、毎日のように本気で唱えていた。
今思えば、これを狂気と呼ばずして、何と呼ぶのだろうか。
バック・トゥ・ベーシックスは、確かに優れたツールではあるが、それは初心者にとって有効な手段なのであって、いつまでもそればかりを使っていては、成長しているとは言えない。
私たちの本来の目的は、「原点回帰」を続けることではない。
アディクションからの回復と、他のアディクトにメッセージを運ぶことだ。
いつまでも古いやり方にこだわって、原点回帰がまるで儀式のようにはなっていないだろうか。
それは、嗜癖的な執着を続けていることと同じだ。
何度か原点回帰をして、先人たちの知恵に触れたのなら、今度はそれを現代に持ち帰って再構築するという作業が必要だ。
それは面倒で大変なことだし、痛みや批判を伴うものだから、僕たちは安全で構築化された「正しいやり方」に戻りたくなる。
だけど、痛みや批判を伴う活動が、いま苦しむアディクトにメッセージを運ぶために必要な行動だったとしたらどうだろう。
もしも神がそれを望んでいたとしたら?
「いやいや、神様は善なお方だから、私たちに一切の苦しみを与えない。私のハイヤーパワーは良心です」
などという免罪符が通じるのは、ビギナーのうちだけだ。
もしも、「これさえやっていれば回復できる」という絶対的なものがあるのだとしたら、私たちの病気はとっくの昔に消えてなくなっているだろう。
あるいは、古いやり方に見切りをつけて、次に進んだ人たちのソブラエティは偽物なのだろうか。
僕たちは「古いやり方」を手放した人たちを、裏切り者か何かだと考えてしまう。
あいつは正統なやり方を手放しやがった、と。
数年前に、僕が東京のSAで、AAの『ビッグブック』の話をした時に、あるソーバー数十年のオールドタイマーが訝しげな顔をしながら僕にこう言った。
「昔、君のような熱心なやつが、AAのビッグブックに夢中になって、やがてSAを離れていったよ。あいつはおそらく死んだだろうな。だから君はSAのホワイトブックだけ読んでいなさい」そう言われた。
その時は、そうなんだ、と彼の話を本気で信じたが
後日、その話をしてくれた人に、「僕のスポンサーになってSAのプログラムを教えてください」とお願いしたら、話を濁されて、やんわりと断られた。
今にして思えば、彼は回復を手にしていなかったのだろう。
だから、僕に渡せなかったのだ。
僕は、『ビッグブック』に夢中になって、SAを離れた人がその後どうなったのか知らないが、回復した可能性はあると思っている。ただ、それは彼がその後も、古いやり方を捨て続けていればの話だが。
かつて、BtoBで肩を並べていた友人たちは、例えるなら、大学の同じサークルに所属していた人たちのようなもので、情がないと言えば嘘になる。
たまに彼らのことを思い出す。
いいやつも、いやなやつも、生きてるうちに神さまを見つけられたらいいね。