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自分中心だから恐い

 先日ウチのグループが著作権を侵害しているとして、ISOに通報されまして、いろいろ考える良いきっかけになった。 結果的には、ISOからは何のお咎めもなく無事でした。 そもそも、12ステップグループのメンバーである私たちは、「身体的にも精神的にも霊的にも病んだ人たち」の集まりなので、自分の思い通りにいかないことに腹を立てて、そのグループやメンバーを通報したり、告発することはよくあることらしい。 僕は初めてのことでずいぶん動揺しましたが、経験者からすると「そういうのは放っておけばいいさ」ってことらしい。 先輩方が、みんな口を揃えてそういうアドバイスをしてくれるのに、病んでいる僕は「いや、それでも今すぐ完璧に対応しなければならない!!」とやけになって、色々調べまくって頭パンクしそうになってました(やっぱり僕は痛い目みないと分からないらしい)。 これのどこが神の導きに従っている生き方なんだよ、と頭の片隅で自分にツッコミをいれつつ、「徹底的に問題をクリアして非の打ち所がない鉄壁を築かねばならない」と奮闘するその様は、まさに「何もかもを取り仕切りだがる役者」そのものでした。 何もかも取り仕切りたがるとは、つまり、自己中心的ってことで、神ではなく自分を中心に据えているから、恐くて恐くて仕方がない。 恐くて恐くて仕方がないときは、自分を頼りにしているのかもしれない。 最終的には、最低限の問題だけ修正して、あとはそのままにしました。 最初からそういう導きなんだから、そうしろよっていう話ですね。

腑に落ちないまま

 スタディミーティングのリーダーたるもの失敗は許さないし、参加者の質問には完璧に答えられなければならない、SAAの創設者でグループリーダーであるぼくは全能でなければならないんだ!ってずっと本気で思ってた。いまもどっかで思ってる。 だけど、それって自分を神にしていることと同じだよなって最近思う。 スタディ公式ブログも、AAメンバーの先ゆく人たちに憧れて始めたから、 彼らみたいにたくさん難しい本を読んで、知識を積み上げて、非の打ち所がない理路整然とした文章を書けなければならない!って奮闘してた。 AIに考えを丸投げして、「文章を最適化して」ってお願いしたこともあった。 だけど、そんな文章を投稿したって、自分の回復には何の役にも立たなかった。 むしろ、本当の自分を否定するような感じがして、二重生活ぶりがひどくなっていくばかりだった。 みんなは才能があって羨ましいな、などと考えて、自分の現在地から目を背けていた。 今回のスタディブログからは、そういう自分の殻というか、思い込みみたいなのを捨てて、自分らしく書いてみた。分からないことは分からない。教えてもらったことは、教えてもらったこと。自分の手柄じゃない。そんなふうに正直に書いてみた。

自分に正直になる能力

 僕はとても幸運なことに、12ステップコミュニティの中では、比較的早い段階でソーバーを得た。 これは僕の手柄ではなく、紛れもなく神から無償で与えられたものだ。 スタディミーティングをやるようになり、参加者のほとんどが、自分よりも一回り以上も年上の人たちだ。 僕は心のどこかで、彼らを見下して、自分は若くしてソーバーを得たんだ。だから、自分は正しいんだ。という感覚に酔っている気がする。 そしてこの優越感には、これが神から与えられたものである、という事実をいとも簡単に忘れさせてしまう魔力がある。 僕は参加者に対して「自分に正直になる能力がない不幸な人たちだ」と決めつけて接している節がある。 しかし、自分に正直になる能力というのは、花の蕾が開くタイミングを神が決めているように、20代で開花する人もいれば、40代や50代になってから、あるいは人生のほとんど最期になってから開く人もいると思う。 もちろん中には、最期までこの生き方に身を委ねられない人たちもいるとは思うけど、 やっぱり僕たち人間には、その可能性を最後まで捨て切ることはできないと思う。 ビッグブックは、霊的な生き方を発見したことを金脈を掘り当てたようなものだと例えていたけれど、 金脈を掘り当てさせたのは神であり、自分の能力が高かったから金脈を掘り当てられたわけではないことを忘れてはいけないな。 まぁ、そうは言ってもまた忘れてバカを繰り返すんだろうけど。