僕は今、回復のどの段階にいるのだろうか

 先月投稿された『心の家路』の記事を、あれから何度も読み返している。

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僕がはじめて12ステップ共同体に参加したのは、2019年の秋頃だった。

ミーティングには熱心に通った方だと思う。

飛行機で各地を回ったり、アルコホーリクではないがAAのオープンミーティングにも参加した。

しかし、スリップは止まらなかった。


僕よりも後に参加をはじめたメンバーや、古株のメンバーのソーバーが伸びていくことに苛立ちを感じた。

「どうしてみんなはミーティングに参加するだけでスリップが止まるのに、僕だけは止まらないのだ」

僕の二重生活ぶりは一層深まった。

同じ病気の人たちの共同体の中に参加しているのに、自分だけは「特別」な存在であるように感じた。

ひどく孤独だった。


そして、そんな孤独を埋めてくれるのは、決まっていつもセックスだった。

だから、僕の頭の中は、いつもセックスのことでいっぱいだった。


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半年が過ぎた頃には、僕は行き詰まりを感じていた。


「このままミーティングに参加していても、意味がない。」

これは、事実だった。


『心の家路』の段階説明で言うところの、僕は明らかに「リターン」を受け取れていなかった。

それは他のメンバーがミーティングで受け取れているのに、僕だけは受け取れていなかったものだった。


そう言う意味では、僕は「特別」だったのかもしれない。(それは、厄介な部類のアディクトであると言う意味で)


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ほとんど本能的にそれを悟った僕は、「12ステップ・プログラム」を求めた。

それが解決策のように思えたし、毎日読んでいた文献にもそう書いてあった。


しかしながら、ミーティングに参加するだけでスリップが止まる多くの人たちにとって、プログラムの実践は不要なものに思えるのだろう。

スリップが止まっているのに、わざわざそんな面倒くさくて胡散臭いものに取り組もうなどと考える人はいない。僕が逆の立場でも同じだと思う。

僕たちが欲しいのはいつも、「果実(スリップが止まるという結果)」だけだった。


しかし、僕の場合は、ミーティングに参加するだけではその果実が得られなかったので、12ステッププログラムに興味を持った。

同時に、ミーティングに参加しているだけでプログラムを実践しない人たちを見下して、「自分は次のステージに行きます。さようなら」などと言ったりした。

それは、僕のひねくれた性格であったし、同時にそれが僕をプログラムに向かわせた。


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そしてプログラムに取り組むようになるわけだが、ここでも僕は八方美人をした。

他の仲間からどう思われるか、という体裁をいつも気にしていた。

何を自分の見え方気にしてんねん、と思わずツッコミたくなるような人だったと思う。


だから、結局、プログラムを徹底的に取り組む、ということができなかった。

プログラムには、やはりミーティング同様、徹底的な「自己開示」が必要な幾つかのステップが含まれているからだ。

僕にとって「自己開示」とは、自分の性器を人に見せることより恥ずかしかった。

死んだほうがマシだと思った。


だから僕はやがてセックスに戻って行った。

そして、痛い目に遭っては、またミーティングに戻り仲間に泣きついて、時間が経てばまた、元に戻った(自己開示をやめた)。


そういう生活を4〜5年は続けた頃だろうか、

同じ時期にミーティングに参加を始めた人たちが、どんどん先を行くので、

僕はもう我慢ができなかった。

「あなたたちが手にしている『回復』が僕も欲しい!」


そして、新しくスポンサーを求めて、徹底的にプログラムに取り組むことにした。

それが去年の春頃。

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そうして、僕はおそらく人生ではじめて、自分以外の誰かに正直に徹底的な「自己開示」を始めた。

多くの人たちがミーティングで、それも割と早い段階で得られるはずのリターン(降ろしの報酬)を、僕はスポンサーという1人の人間を介して、少しづつ得はじめた。


滞りなく半年でステップワークが終了し、僕は再び野に放たれた。

「あとはこれを他の人にも伝えていってください」

スポンサーは僕にそう言った。


しかし、それが怖かった。


ミーティングで大勢の前で、自己開示をする勇気は、僕にはなかった。


だから、またスポンサーに泣きついた。

それはまるで、「ドラえもうん。」と泣きつくのび太のようだった。


『ドラえもん』12巻 25ページより

僕のスポンサーは賢明な人だった。

そんな僕を突き放しつつも、話を聞き、的確な指摘をして、再び野に放った。


それはまるで、猫の親離れによく似ていた。

僕の回復は、有限の人間であるスポンサーを頼っていつまでも享受し続けられるものではないことを、彼は心得ていた。

(猫が親離れをさせるのは、意地悪などではなく、むしろ子供の生存率を高めるための行動の一環である)



それを感じ取った僕は、とりあえずやるしかねぇ、ということで、がむしゃらにグループを作ったりした。


そうして、最初のうちは良かったのだが、やはり再び、僕はスリップに近づいた。

僕がやっているミーティングは、その性質上、僕が誰かに「教える」という形式を取るため、自分の自己開示が非常に限られたものになる。

狡猾な僕の病気は、その弱点を見逃さなかった。

そして、表向きは熱心にグループを運営するリーダーとしての顔を保ちながら、裏では病気のスリルを味わっていた。

そして、起こるべくして、スリップは起きた。


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これらの痛く苦しい経験を通じで、僕はようやく、ミーティングでの「自己開示」に向き合わねばならなかった。

それは、自分が一番行きたくないミーティングに行き、一番話したくないことを話すことを意味した。

「自分は次のステージに行きます。さようなら」などと行って去ったグループに再び戻り、自己開示をするということは、死んだほうがマシだと思うほど辛いことに思えた。


だけど、行き詰まりにあった僕は、スポンサーに相談した。

スポンサーは「神を頼りなさい」という。

はぁ、やっぱり親離れか。


僕は渋々、神に祈った。


「ミーティングで正直に話す意欲をお与えください」


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そして何日かして、僕は一番行きたくないミーティングで、正直に自分のことを話した。


それは自分を殺すほど恥ずかしいものであったはずだが、いざ話してみると、心の重荷がスッと降りるような、不思議な感覚になった。

同時に、いろんなことが見えるようになった。

他者に少しづつ関心が向くようになった。

この感覚は、うまく言葉にできないのだけど、それは効果があった。


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こうして振り返ってみると、僕は、随分と遠回りをしてきた。


多くの人たちが、ミーティングに参加をはじめてから、早い段階で「第1段階」のリターンを受け取るのに対して、僕の場合は、まず「スポンサー」という一人の人間を介して自己開示を行い、自分の性格上の欠点に取り組んでから、ミーティングに戻る必要があった。

(僕が神に与えられた性格上の欠点が、ミーティングでの自己開示をどうしてもさせてくれなかったため)

だからそれは僕にとって、第1段階と第2段階をすっ飛ばして、第3段階の自力救済型のステップワークに取り組んでから、第1段階に戻るというプロセスだった。

あるいは、スポンサーという一人の人間相手に細々と第1・2・3段階を経てから、共同体に戻って同じ作業を繰り返す、2周巡回パターンとも言えるかもしれない。

いずれにせよ、僕は、そういう回り道をする必要があった。


ただ確かに言えることは、僕たちが回復する(救われた実感を得る)ためには、第0〜第3段階の4つの段階を、最終的にはその全てを経る必要がある、ということだ。


例えば、SAAの創設者の個人の物語を読むと、彼はSAAを作り、仲間たちと正直にシェアをすることで、一時的には救われたかのように思われたが、その数年後には、やはりプログラムに取り組む必要があったと語っている。

彼の場合は、第1段階・第2段階のリターンは得たものの、第3段階以降に進まなかったために、自分の性格上の欠点が神との関係を妨害して、満たされない心の空白を他のもので埋める必要があったから、やがてプログラムに向かった典型的なパターンだ。

プログラムに向かうということは、言い換えると、神に向かうということだ。

もちろん、それはプログラムが神だという意味ではなく、このプログラムそのものが神を求める性質のプログラムだという意味で。

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しかし、僕たちが、はじめはミーティングを、スポンサーを、あるいはプログラムを、

つまりこれら「有限のもの」を、神の位置に置くことはやむを得ないのだと思う。


最初から、ミーティングで完全な自己開示ができて、それでスリップが止まっても、プログラムに徹底的に取り組み、神を求め続けるような人は、最初からこの共同体には来ないだろう。

僕たちは、苦しい経験を繰り返しながら、少しづつ成長していくしかないのだと思う。


今日もぼくは世界で一番参加したくないミーティングで、世界で一番秘密にしておきたい胸の内を話してきた。

そうして僕が正直に話すと、他の人たちも共鳴するかのように、胸の内のドロドロとしたものを吐き出してくれる。

中には、当たり障りのない話をして取り繕ったり、ダンマリを決め込む人たちもいるが、彼らを見ていると、本当に昔の自分にそっくりだなと驚く。

同時に、彼らにもこのリターンを得て欲しいと願うようになっている自分に気が付く。


何かできることはないかと考えて、とりあえずブログでも書くかとキーボードをカタカタと叩いてみた。


いつだって、いまの僕にできることを、やるしかないらしい。